北陸の峠道
笹又峠を目指す
題名に苦労する。要するに峠道を見つけることが出来なくて、うろうろ藪漕ぎをしたりして戻って
きたのだ。この峠はダムに没した笹又集落から木本に抜ける峠で巣原峠と若生子峠の間に位置
し、明治までは重要な峠道だったと云われるが、現在は何処から登れば良いのか判らない。あの
蝿帽子峠を越えた水戸浪士天狗党も笹又峠を越えて木本へ、そして池田を目指したのである。
さかのたに橋 手前右に離郷記念碑とお地蔵
2万5千分の1地図では、「さかのたにばし」際から林道が登っているので、まずはそこから入ろう
と思う。情報はそれだけではなはだ心許ない。現地へ来てみると真っ赤な橋で、手前際に離郷記
念碑とお地蔵さんが置かれている。さらに亀の子模様に舗装された急勾配の道が国道と直角に
上に向かって付けられている。関係者以外立入禁止の鎖が道を塞いでいた。
予定通り林道を歩き出す。林道の終点から峠道が始まっているのかなと期待しながら歩いたので
あるが、やがて草ぼうぼう、そして藪漕ぎ状態となり、30分以上進んだところで道はすとんと切れ
落ちていて行き止まりなのである。30分掛けて元に戻ったが、登り口に年輩の人がいて、笹又峠
は舗装した道を行くと峠だと云う。じぐざくに行くとすぐ上が峠だとも云うのだ。これで勇気百倍であ
る。地獄に仏なのだ。
さかのたに橋から峠方面 白い道は舗装された道
ところがこの急坂は、何処へ行っても砂防のための堰堤で行き止まりなのだ。この堰堤を造るため
の道らしい。只一カ所堰堤の左側に土手を登る危ない道が出来ていた。これしか先へ進む道はな
い。この危ない道は堰堤の上側の沢へおりて、さらにもう一つ上の堰堤の右側に登る。問題はここ
からだ。誰かの歩いた跡はあるが道と云うものではなく、急な斜面を枝や草に掴まって登らねばな
らない。苦労の割には峠に近づかないことが判る。歩きたいのは昔人々が通った道なのだが、どう
も堰堤の左側を登らない限り峠に辿り着きそうにない。
2回程堰堤右斜面の藪漕ぎを試みたが峠道は見つからず、諦めて堰堤に戻る。もしかしたら堰堤
の上を歩いて、堰堤から左側の岩壁を登るのかも知れないと気が付いた。しかしこの岩は非常に
崩れやすく、よじ登るのを試みはしたが、危ないのでやめにした。その上の斜面も急で、峠道があ
るとも限らない。
暑い中、3時間半も歩いて今日はやめにした。後は誰かこの辺の地理に詳しい人に教えて貰うか
GPS頼りに峠目指して急斜面を藪漕ぎするかだが、目的は昔からの峠道を歩くことなので、慌て
ず情報を待つことにする。 (迷い歩いた足跡)
(’01・08・19)