還暦つれづれ草


芦生の森・トロッコ軌道跡散策

トロッコと聞くと、何故か子供の頃のことを想い出す。別にトロッコで遊んだ訳ではないのだが、トロッコと
いう言葉は子供の心をくすぐるのだ。教科書に載っていた芥川龍之介の「トロッコ」の影響もあったのかも
知れない。大人になってもトロッコと聞くとじっとしていられなくなるのである。そして芦生の森・京都大学
の研究林へ、トロッコの軌道跡を歩くためにやってきたのだ。

私が育ったところには品鶴線と呼ばれる貨物線が通っていた。今は横須賀線が走り、その上を新幹線が
走っている。前にも書いたが、夏の夕暮れにはその線路を跨ぐ橋の上でトンボがやって来るのを待ってい
たし、線路のレールの上に鉄釘を置いて、ペシャンコになるのを見て喜んだりしていた。 今なら新聞種に
なりかねない。その橋の上で嗅いだ石炭の煙の匂いが、何とも言えない懐かしいものに思えてくるのだ。

 

まむし草(テンナンショウ)                  歩き出して間もなく廃村灰野の手前

8時30分に須後の研究林事務所入り口で仮入林許可証に記入して歩き出した。最初に橋を渡り由良川
を左に見て歩くことになる。線路と歩道が一緒になった橋を渡ることから今日のワクワクする散策は始まる。
すぐに軌道脇に「まむしぐさ」の特徴ある姿をを見つける。これは先々で沢山見かけられた。今日は腰にデ
ジカメを付けていて早速撮影。軌道跡の趣といったものが撮れればいいなと思う。

由良川の流れを左下に急な岩の斜面を削って造られた所が多く、右手の岩壁からは水が浸みだしていて
多種類の苔がびっしりと緑鮮やかに続いていたりする。鹿だろうか白骨化したものが2体ばかり線路脇に
あった。しばらく進むと佐々里峠への古道の登り口の標識がある。普通の登山道へはさらに進むと谷が流
れ込む手前に判りやすい標識があった。

 

廃村灰野の少し先 石垣がある                              小よもぎ谷の作業所

廃村灰野の手前で7・8人のグループが立ち止まって説明を聞いている。苔むしたいくつかの石垣を見ながら
進むと赤崎西谷の橋が崩壊しているためバイパスの橋を渡る。帰りにはわざわざ崩壊現場を見に行ったのだ。
そして小ヨモギ谷小屋、大ヨモギ谷、刑部谷、カズラ小屋へと進む。線路は土砂をかぶったり路床を流されたり
と荒れてきて、危ないところが多くなる。カズラ谷の橋は崩壊していて河原へ降りて迂回するようになっていた。

 

かろうじて渡れる橋                             刑部谷の橋を渡り先を行く人

カズラの作業小屋の下の河原は広く、釣りをしている方がいた。崩壊したカズラ谷の橋をくぐって登り返す。
道は更に荒れてきて途中でレールが無くなる。カズラから40分程、道が途切れるとそこで七瀬谷が向い側
に見えた。我々の今日の終点だ。河原に降りた時、先程我々を追い抜いた方が、ぼちゃぼちゃと川を渉り
七瀬谷のほうに消えていった。



カズラ谷の壊れた軌道の橋

さすがに今日はカミさんも山菜を採らないから、散策にしては順調に歩いて3時間弱で七瀬の河原でビール
で乾杯となったのである。1時間以上静かな河原でゆっくりしたが、我々以外には誰もやって来なかった。

 

七瀬の河原にて                              カズラと七瀬の間で釣りをする人

ビールや燗酒を飲んだりしたので戻り始めは少しふらついたりして、疲れが早く出た感じみたいで、言葉
少なに歩き続けたのだが、廃村灰野近くにまで来ると次々と説明を聞いている団体に出会うことになり、さ
すが研究林だなと感心した。皆さんノートを手にメモをしている。ぼけっと歩いている我々とは違うのである。

由良川は多くの魚影が見られ、苔むした岩壁、新緑のトンネル、童心に帰らせてくれるトロッコ道、すべてが
心を豊かに満たしてくれる往復7時間だった。車の運転も往復6時間だったが、今日は渋滞もなく順調だった。

('03年5月17日)
地図は昭文社 山と高原地図NO.46 京都北山
5万分の1を使用 世界測地系を使用している
のでgps使用時は注意
gpsでは出発点と七瀬の河原の高度差約100m
気圧により誤差はあります。 距離は7kmだった。

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私の文は簡単で参考にはならないが、あまり詳しく知らないほうが行ってみたいと思う方には良いのではないか
と思っている。それで子供の頃の想い出と共に還暦つれづれ草に載せることにしたのだ。

夜の操車場のところどころに点灯している紫色の標識灯は幻想的で、子供の頃は夢の中にいるみたいに感じた
ものだ。でも線路にまつわる想い出は楽しいことばかりではない。時々品鶴線で貨物列車が停車して、永いこと
汽笛を鳴らし続けることがあった。それは誰かが飛び込み自殺をしたことへの弔意の印しのようだった。私ら子供
は、好奇心にかられて駆けつけるのだが、いつもすでに線路脇にムシロを被せられた遺体があった。何処の誰れ
それだと周囲で大人達がひそひそ声で噂していた。
それはいつも我々子供達がトンボを追いかけ回す橋の辺りだった。橋の下はちょうど線路がカーブしていたので、
人目に付きにくいという心理からだったのだろう。

本屋に行くと廃線跡を歩く本が沢山並んでいる。きっと熊野古道を歩くのと同じ趣が感じられるのか、子供の頃
の想い出が懐かしくよみがえるからではないだろうか。


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