北陸の峠道
馬借(西)街道・梨ノ木峠越え
今回は、梨の木峠を越え河野の海岸の今泉までの保存されている街道を歩いた。
県道206号の
甲楽城勝蓮花線の中山トンネル直前を左へ上がる。熊がどうとかの看板があった。 西部林道1号線
に入るが、その当たりが中山峠らしく、そのすぐ先に看板があり街道入り口となっている。
左側にも
新しく刈り払われた街道跡があるが、150mほど先で道路を見下ろす処で行き止まりとなっている。
歩き始めの道 こんな処は少ない
道路が広くなっているので車を停めて看板の横から街道に入る。間もなく大きくて首がおかしい地蔵
さんがいて梨の木峠だ。梨の木峠からU字型に掘れた道を下ると今泉の海岸へ、峠から右へ武生と
河野村の境を行くと甲楽城へ下る。こちらが地図に記載されている道だ。今回、こちらの地図にある
点線を歩くのだと思っていたのだが、とんだ勘違いで、判っていれば帰りは異なる道を歩けたのにと
残念だった。
梨の木峠の地蔵 峠を下ると深く掘れた道だ
掘れた道が終わると谷の始まりで、じくじくとした道は間もなく小さい流れとなり、それが今泉川に流
れ落ちる。そこからは海岸までこの川伝いに下りるのみで、杉林が多く、このコースは風もなくクモの
巣を払い除けながら黙々と歩くのみ。道は短い草に覆われていて歩きにくいところが多い。
行程の半分程のところに「弁慶の足跡」の立て札がある。何処が足跡なのか判らない。すぐ近くに、
史跡「お題目岩」がある。そこから海岸に出るまでの間に、岸壁の下とか岩の窪みに小さな石仏が置
かれているのが心を和ませてくれる。海岸に出る手前には「口留番所跡」がある。
ほんとに小さい石仏 いつ頃からのものなのか
およそ1時間15分くらい掛かってのこのこと海岸の道路へ出てきたのだが、お婆さんが1人、じーっと
私を見ていた。余程物珍しかったのだろうか。そこでぶら下げてきた飲み物で大休止。記憶では海岸
へ出る手前で県道206号にぶつかるはずだったが、おかしいなと思いつつ今来た道を登り返すことに
した。
河野海岸の今泉
下から登って行くと、3分の2くらいのところで川は大きく右に曲がる。そこの急斜面を慌てて駈け登る
黒い獣がいたのだ。真っ黒だ。見間違えようもない熊なのである。戻りはクモの巣もなく1時間で車に
到着。前回の大坂峠越えの部分に比べると、谷筋の道は側面の壁が崩壊したりして、どうしても歩き
にくくなるのは仕方のないことなのだろう。それだけに、昔からの道が残っていること自体、多くの方達
の努力に支えられてのことなのだ。
('04年9月1日)
<2万5千分の1地図 「糠」>
HOMEPAGEへ 北陸の峠道の目次へ
こういう雰囲気の道です