隠れ家でつれづれに

吃音(どもり)

昨年に12月、NHKの教育テレビで、脳梗塞による失語症で「キョントントン キョントントン」としか
発声出来なくなったおじさんが、一人で車を運転して日本中を廻った話を放送していた。私も脳
梗塞を体験したし、年齢もたいした違いもないこともあって、興味深く見させて頂いた。

失語症にもかかわらず常に明るい笑顔で、創意工夫をして車で日本中を廻る様子に少なからず
感動を覚えた。私にとっては「失語症」とは異なるが、「吃音」によって苦しんできた体験が、更に
いろいろな想いと共に心を動かされる結果となったのだ。

私の場合「吃音」(どもり)は小学校高学年からで、言葉がなかなか出てこないので、沢山のじれ
ったい思いや悔しい思いを味わってきた。その小学校でいくつかのクラブ活動みたいなものがあ
り、私は英語クラブを選んだら、先生が「英語はどもらないからいい」と言われたのを覚えている。
後で知ったのだが、英語圏にもどもる人は沢山居るということだった。しかし、その先生は私が
どもりであることを気に掛けていてくれたのだと思う。

ベルギーかどこか忘れたが、「吃音」の少年を取り上げた短編映画があった。テレビを見ていた
ら偶然放送していたのを見たので題名も判らないが、少年が駅で切符を買うとき、言葉が出て
こず顔を引きつらせている場面があった。全く同じ体験をしてきたので思わずジーンとしてしまっ
た。映画では少年を理解してくれる女性が現れて終わったように思う。

1月に入ってNHK名古屋局が、吃音の問題に取り組む方達の活動をとりあげて放送していたが、
この様な番組は初めて見た気がする。吃音に苦しんでいる人は沢山居るのに、この問題に取り
組んでいる所は極めて少ない様に思われる。現在吃音の子供にはどういう相談窓口や機関が
あって、どう対処されているのか知らないが、たった一人で苦しみ悩んでいる人が少しでも無くな
ればと願わずにいられない。

「どもりに悪い人はいない」と云う言葉も、最初前出の小学校の先生から聞いたような気がする
が、落ち込んだ時に自分に言い聞かせて心を落ち着かせてきた言葉だった。

(’02年1月30日)

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