治療の推移やときどきの想い


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'03年11月27日 通院日 1時間以上待たされて5分間程で終わりだ。3時間以上待たされたと
いう人がいた。リューブリンの注射を打つ。薬(ガソデックス)は1ヶ月分出してくれたので、次回は12
月25日ということになった。 その時には、若狭湾エネルギー研究センターの来年度の治療に関する情報が何か得られるかも知れないとのことだった。

今日の支払いは3万円だった。これが毎月続くことになるのだ。

12月15日 昨日 山の会で武生市内の低い山に登ったのだが、急登のせいもあり、私はみんなについて行けず1人だけ遅れて頂上に着いた。脈拍が高くなり過ぎた感じで、体力が落ちていることを
実感したのだ。それに疲れやすいみたいで、家に居てもすぐに横になりたくなる。男性ホルモンを遮断していることによる影響だろうか。
前にも書いたが、頭皮やおでこ、鼻など以前は脂ぎっていたが、急に全く脂気が無くなってしまった。
肝機能にも影響が出る場合があるとのことで、それも心配だが、今一番の気がかりは、若狭湾エネ
ルギー研究センターでの陽子線治療を受けられないとなったときどうするかだ。放射線治療を受ける
としたらどのような方法を選ぶか、それとも前立腺の全摘出手術を受けるのか。

この頃、ふとあと何年生きられるのかなと思ったりする。

12月21日 母の癌のこと
私の2歳のとき父は癌で死んだとのことだ。それから母は子供3人を親類などに助けられながら苦労して育ててきたのだが、報われることなく私が16歳のときに癌で他界した。50歳だったと思う。
その時私は中学を卒業した年で、日本光学という会社の入社試験はパスしたが、健康診断で胸に影があるとのことで、入社出来ないことになり家で療養していたのである。すぐ上の兄も結核でサナトリュウムで療養中で、生活はまさにどん底の状態にあった。
そんなある日、母の悲鳴のような声を聞いた。そして80歳にもなる祖母のところへ駆け寄って泣いていたのである。乳首から血膿みが出たのだ。
それから手術、放射線治療と続いたのだが、時すでに遅く、肝臓に転移していて苦しみながら、その
年の九月半ばに息を引き取った。私は家に居たので、ずっと母の病状を側で見ることになったが、あっと云う間に病状は悪化してしまった。当時としては乳ガンの早期発見などは今のように認識されていなかったので、見つかったときは、すでにどうしようもなかったのだろう。母の姉も兄も長生きだったのに、不運としか云いようがない。

父が死んだ頃だと思うが、私はある家に貰われることになって引き取られたという。しかし、すぐに母が取り戻してきたのだそうである。母のことを想い出すと、どうしても涙が出てしまうのだ。

12月25日 通院日 今日は若狭湾エネルギー研究センターでの来年度の治療予定について何らかの情報が判るかも知れないと云われていたので、予約の時間11時より少し早く泌尿器科へ行った
。しかし、1時間15分程待たされて、話は1・2分くらいで終わってしまった。あとは採血とリューブリン
の注射。結局、何も情報は無いとのことで1回聞いて見ましょうと云うことだった。患者がこのように混んでいなければ、その場で電話をしてくれたかもしれないが、いかんせんまだ待っている患者さんがいるので、その様な余裕はない。
医者は「そこで治療を受けられるかどうかは判りませんよ」「当院でも広域照射なら出来ますよ」と云う
放射線科の医師は、放射線治療は1回しか受けられないので、どれにするか慎重に選ぶことが大切
だということだった。だけど思うように選べないのが現状だ。いくらでもお金を掛けられるのなら別だが。また、これから1ヶ月間、このまま情報を待たなければならないのだ。
抗男性ホルモン療法を始めてからもう2ヶ月が過ぎた。千葉の放射線医学総合研究所の重粒子線治療は、ホルモン療法を始めてから6ヶ月以内の患者が対象とされるという。福井の若狭湾エネ研の場合はどうなのだろう。来年度にもし治療を受けられるとしたら、ホルモン療法を開始してから6ヶ月以内ということはありえないのだから。
9月から解禁になった小線源療法が次ぎの選択肢にあげたいところなのだが、治療する病院が3カ所くらいしかないので、受けられるかどうか問い合わせて調べなければならない。健康保険が適用されるかも。

今日の支払いは、32,880円だった。

12月30日 小線源療法の件で問い合わせ
何処に問い合わせればよいのか、普通の人には判りにくい。この9月最初に公にこの医療を開始した国立東京医療センターには数百人の申し込みがあって、1年くらいは一杯でないかという話が出ていた。あとは慈恵医大附属病院しかないみたいなので、Webサイトを探していたら、医大のHPの治療法の説明のところに問い合わせ先というのが載っていて、ダメでもともとと思いメールを出してみた。
そうしたら日曜日だというのに親切に詳細な返事が来て感激した。

治療の可能性については、現在待っている患者は多いが大丈夫とのこと。入院については病院によって異なると思うが、ここでは3泊4日。費用については健康保険が適用される。ただし、入院は法律的な規制から個室入院で差額ベッド代が必要。これは保険が利かない。
その他、術後の副作用のことやホルモン療法との関係などが述べられていました。

これで少し希望が湧いてきた感じがする。あと、私の癌の程度、グリンスコアと呼ばれる数値で表される癌の顔つきが判れば、この治療が私に相応しいか判断しやすいらしい。年が明けたら担当医に
確かめてみよう。それと若狭湾エネ研の可能性とだ。

'04年1月6日 ガン保険 
年金生活でなかなか厳しい生活なので、毎月3万5千円程になる治療費は重い。バブルとか色々なことがあって貯えも乏しい。だから無料で治療を受けられる若狭湾エネルギー研究センターの陽子線
の治療を希望しているのだ。すでに有料で治療を開始したところでは、288万円も掛かる。入院費用は健康保険がきくらしいが、治療費はきかない。千葉の放医研の重粒子での治療は314万円だ。
年金生活で毎月3万5千円は厳しいし、検査などがあるとさらに支払いは増える。そこで早速診断書を貰ってガン保険を請求した。これはすぐに何の連絡もなく振り込んできた。不思議な感じがする。
ガンと診断された時の一時金(私の場合百万円)は1回しか貰えない。後で異なるガンが新たに見つかっても、もう貰えないのだ。
百万円を新しく開いた口座に入れて、病気の治療に関係する費用はここから引き出して使うことにしている。最初の月は10万円近く掛かったし減り方は早い。

ガン保険を貰ったとき、もう後戻り出来ないのだという気がした。別に貰わなくても後戻りなんて出来るはずはないのだが、本当にガンだったんだと思わされたという感じだった。

'04年1月20日 薬の副作用
どの症状がどの薬によるものか判らないのでどうしようも無いのだが、診察のときに「何か変わりはありませんか」と聞かれ、どうも調子がおかしいと言うと、「それは癌ということからくる精神的なものですよ」と言われてお終いなのだ。
しかし、最近の睡眠の様子は確かにおかしいと思う。夜12時ベッドに入る。間もなく眠りにつく。ここまではいいのだが、午前1時半とか2時頃にパッチリと目が覚めるのだ。別にトイレに行きたいわけでもない。そして、それからが寝付けないのだ。
それからものすごくじれったい様な気持に襲われる。腕や脚がしびれから治るときの、あのどうしようもない感覚になったり、とても狭い管の中に押し込められて身動きが出来ない様ないらだたしさに寝返りを繰り返す。胸の圧迫を覚えることもある。そんなこんなでベッドの中で数時間過ごすことになる。
やがて眠りに入り、6時半か7時頃に目覚めることになるのだ。最近まではいくらでも寝ていられる体質だったのに。
喉の横のリンパ腺がいつも腫れていて、すぐに熱が出そうだし、便はいつも兎の糞みたいなのである.
原因がハッキリしている事と云えば、頭部や顔面の脂分がなくなったこと。睾丸が縮小し、ペニスも小さく縮んでしまったままだ。こう言うと皆さん「もう用済みだからいいではないか」と言うのだ。確かにそうなのだが、それ以外の云い方はないものかと言いたくもなるのである。

いよいよ明後日は担当医に、治療方法を決めたいと話をする日だ。まだ若狭湾エネルギー研究センターでの陽子線の治療がはっきりしないときは、すぐに小線源による治療に切り替えたい。

この頃、クラシック音楽の大音響の中で体を動かして時の経つのを忘れる事が多い。昨日はベートーベンのチェロソナタ第3番だったが、今日はシベリュウスの交響曲第2番だ。終楽章がたまらない。
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