北陸の峠道


護摩堂峠

昭和46年10月発行の5万分の1地図を見ると、勝山の五所ケ原から護摩堂峠を通って石川県側の
太田谷沿いに道が続いている。そればかりでなく、谷峠も両側に道がついているし、加越国境の大日
峠、新又越、木地山峠、小豆峠とみんな道が記載されているのである。
私は三八豪雪の前年に東京から金沢に転勤し、41年には福井に転勤していたから、その頃にはこれ
らの峠は、昔からの峠道を辿ることができたのだろう。もっと早く峠に関心を持たなかったのが残念に
思われてくる。それにしても、通る人がいなくなると道は案外早く無くなってしまうものだ。

その昔、白山修験者達がここで白山を遙拝し護摩を焚いたとか、義経の一行が護摩を焚いたとかと云
われている由緒ある峠なのだが、何故か来るのが遅くなってしまった。今日は、峠道を歩くのは難しい
と思われるので、谷峠から稜線を歩いて護摩堂峠へ行き、そこから下りの道への取っ掛かりが判れば
そこを降りてみようと思う。

谷峠の杉

谷トンネルの入り口手前に車を置いて歩き出す。雪の時はだいぶ時間が掛かったが、今日は35分程
で谷峠に着いた。林道から峠の大杉へは段があるうえに薮がひどく近寄りがたい。そして、その少し先
から稜線の山道へ入った。稜線だから少しは見晴らしが良いのではと思ったのだが、これは大間違いで
杉林の中、灌木が枝を伸ばし雑草が生い茂って悪戦苦闘なのだ。

30分近く頑張ったのだが、方向が少し違う踏み跡へ入ったのでそのまま林道へ出た。尾根を外さなけれ
ば問題ないのだが時間が掛かりすぎる。林道も草蒸しているところもあるのだから、あまり利用されない
山道が荒れるのは仕方がない。林道へ出てホイホイと歩いていたが、峠みたいなところが見当たらない。
どの辺にいるのかなと地図で確認したら大幅に行き過ぎてしまっていた。

 
護摩堂峠の祠と仏様
*この仏様は林道際にあって、そこからすぐに細い道が峠へ続いて行く
のですが、峠には今回見落としましたが、首のない小さなお地蔵が
おられるということです。

道沿いの少しへこんだ処に祠があって、中には台座の上に仏様が立っておられた。 一見どうして此処が
峠なのかと思うような感じだったが、祠の右横に上に登って行く道があり、稜線がすぐ近くだったので納得
した。しかし、道は草に覆われていてぼけっとしていると見落としてしまう。ごまんどう山(1152.4m)へ
は祠から20分だったが、ほとんど薮漕ぎ状態だ。それに比べこつぶり山(1264m)へは小枝は邪魔する
が、歩きやすい道が続いている。調子にのってこつぶり山までの半分程の距離を歩いてしまった。おかげ
で草の露で濡れそぼってしまったのだ。

 
ごまんど山の三角点と電波の反射板

11時半に祠の前で食事とした。銀色に鈍く光る恐竜博物館のドームが正面に見下ろせる。鴬の声を聞き
ながら、ビールを飲んでゆっくりとした時間を過ごした。

峠から下る道は在りそうにない。峠付近の林道沿いは急斜面でとても降りて行くことは難しい。昔、取立山
に登った道がひょっとすると峠道だったのではないかと思うのだが、林道が出来て、また、東山から登れる
ようになって登山者が無くなったので、峠道はその姿を留めることが出来なくなったのだろう。

峠にはお地蔵さんがあったと聞いたが、今あるのは名前は判らないが○○菩薩と呼ばれる仏様みたいだ。
白山修験者や木地師や白峰の出作り農民が行き交った峠も、もはや両側に道は無く、道行く人々を見守っ
た仏様もその役割を終え、ただ、昔此処に峠のあったことを伝えるためにひっそりと佇んでいるのだった。

('03年7月16日)
2万5千分の1地図 「北谷」
<足跡>


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