福井の小さな山歩記
行市山
行市山(659.7m)は、敦賀市と滋賀県余呉町の境の山である。敦賀側からは登る道が無い
のか、この山は滋賀県の山らしい。行市山の三等三角点の所在地は、余呉町大字小谷字太
田谷726とあるので当然のことか。
栃ノ木峠・椿坂峠と走ってくると、365号線が高速道路から離れると間もなく今市のバス停が
ある。そこを曲がるのであるが、そこの案内板や標柱からして、これから登る山が、歴史に彩
られた山であることが判る。
登山口は毛受兄弟の墓の横 猪除け?のブリキ板をずらして登山道へ入る
案内に従って500mほどで毛受兄弟の墓があり、ここが登山口で駐車することができる。主君
柴田勝家を北ノ庄に返すため勝家の馬標を受け取り、身代わりとなってこの地で戦い、討ち死
にしたとある。雨がぱらつく中、8時半頃歩きだした。
登山道は落ち葉の積み重なった柔らかく歩きやすい道だ。登って行くと、よく踏み込まれて窪ん
だ古道という感じになってくる。尾根に登り上がったような感じの処に橡谷山の金森五郎八長近
の砦跡がある。逆向きだが左へ350mばかり尾根を辿ると、少し藪っぽくなるが林谷山の毛受
勝助家照兄弟の砦跡がある。橡谷山から先へ登ると中之谷山の原彦次郎長頼の砦跡があるの
だが気が付かずに林道へ出てしまった。
林道は割と長くて行き過ぎたと思って一休みしたりした。右手に大きな看板があり、また「勝家
はなぜ負けたかハイキングコース」などと書いた紙が下がっていたりする。そこから別所山はす
ぐだった。広いところだ。別所山砦はテレビでお馴染みの前田又左エ門利家と前田利長とで二ヶ
月で構築したとある。
別所山砦跡 林谷山砦跡
そこからは林道が下を走っている道が暫くあって少しの急登、笹百合が点々と咲く緩い道を行く
と百合の匂いに迎えられて行市山の頂上に着く。眺望は東側のみで、北陸高速沿いの集落が
見下ろせ、低い雲の下に七七頭ケ岳と思われる山などが望まれた。林谷山へ寄らなければ、
2時間程で登れる。
行市山は佐久間玄蕃盛政の砦跡なのだ。柴田勝家の玄蕃尾城の本陣より、この行市山頂を経
て別所山、中之谷山、大池山、林谷山の各陣地は、尾根を人馬が駆け抜けられる道によって結
ばれていて強固な陣地が構築されていた。しかし、柴田軍はこれら強固な陣で戦うことなく、余呉
湖畔で敗れ去ってしまったという。
行市山の頂上はこんなところ ここも陣地跡だ 頂上からの眺め
頂上について間もなく、雨が強く降り出したので、バナナと固パンを紅茶で流し込んで下山とする。
小谷の方へ向かうのだが、道が藪に覆われている。かがめば道ははっきりしているのだが、そう
して歩く訳にもいかないので、藪を掻き分けながらということになる。そのためびしょびしょになり、
靴の中がぐちゅぐちゅしてくる。藪の林を抜けると明るい斜面をジグザグにくだり林道に出る。登山
口の看板が地面に横たわっている。その林道を下り、登るときに林道に出たところから往路を辿っ
て車のある毛受兄弟の墓に戻った。
この山はほとんどきつい登りはなく、ゆっくりと史跡を巡る歴史散策の道なのである。峠道を歩く
感じなのだ。何故か山に登ると歩く速さを競うような方達がいるが、そういう方達には縁の無い山
なのである。
(6月22日)
<2万5千分の1地図 「木之本」 100m毎に杭があり、それによると頂上まで3.3km>