還暦つれづれ草
耳なし芳一
今から50数年も前の小学生だった頃の記憶が、最近何故か気になるので書き留めておこうと
思い立った。 それは終戦後何年経った頃だったろうか
私は終戦の翌年の小学校入学で、まだ
高学年ではなかったように思われる。
東京都品川区大井伊藤町は伊藤博文の墓が在るところだが、幸いきわどいところで戦災から
免れたのだった。戦後の荒廃した世の中もだんだんと落ち着いてきたのか、今で云う敬老の日
みたいな催しがあって、80才近い祖母も呼ばれて出掛けたのである。何故か小学生だった私
も連れられていった。そこで出される餅菓子を私に食べさせたいがために連れて行かれたのか
もしれなかった。畳の部屋に10数人のお年寄りが集まっていたが、子供は私一人だったように
思う。
そこで催されたのは琵琶の弾き語りによる「耳なし芳一」だったのである。
装飾の施された大きな琵琶、朗々と響き渡る声、子供ながら物語の内容はよく理解出来た。そ
の琵琶の音と語りの醸し出す鬼気迫る雰囲気は、私に強い印象を焼き付けたのだろう。経文を
書くのを忘れられて耳がちぎり取られると云うこの小泉八雲の作による怪談は、その後も読むこ
とはなかったし、ましてや琵琶の弾き語りなどはお目に掛かることはなかったが、こうして今でも
折に触れてその時の様子を想い出すのである。
最近は琵琶の弾き語りをするような人がいなくなってしまったのだろうか。残念ながらテレビな
どでは取り上げられない。だから今のお年寄りは、琵琶の弾き語りなどは頭の中にないし、知
っていたとしても興味がないのだろう。しかし、たまにはこういうものに接するのもよいのではな
いかと思う。ひょっとすると、聞いたことがない人も沢山いるのではないだろうか。
私が敬老の日に呼ばれる頃には、どんな催し物が行われるのだろうか。
この文を書いてからインターネットで「耳なし芳一」を検索したら、下関市にある赤間神宮のホー
ムページに下関の伝説「耳なし芳一」の物語が載っていた。赤間神宮には「芳一堂」というのが
あるし、また、平家にゆかりのあるお宮らしい。しかし、読んでみると「耳なし芳一」の話は実に
良くできた話だとつくづくと感心させられてしまうのである。
(’00・11/16)