還暦つれづれ草


南富良野村字落合番外地

数日前に20年余りテレビで放映されてきた「北の国から」というドラマが終わったそうである。
私は全然見ていないのでどうでも良いのだが、北海道 特に富良野と聞くと想い出されることが
あって、忘れないうちに書き留めて置くことにした。

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私の本籍地は、空知郡南富良野町落合で、昔は南富良野村字落合番外地だった。私がそこを
訪れたのは丁度50才になった時で、勤続25年で休暇と10万円が支給されて夫婦で行くことに
なった。私はその時初めて飛行機に乗ったので、子供のように窓から下界を眺めていたのだ。

レンタカーで帯広のワイン城や然別湖を廻った後、南富良野に入った。道路沿いは建物がまばら
で寂れた感じと云うか静かなところだ。郵便局で字落合番外地は何処かと訊ねたら、すぐそこの
新聞販売店とたばこ屋の辺りなので、そこで訊くといろいろと判るかも知れないと教えられた。

そこで新聞販売店を訪ね、ここへ来た目的をお話した。私の本籍地であること、初めて訪れて何か
父親の痕跡でも見つけることが出来れば等々である。新聞の販売店と隣りのたばこ屋のおばさん
は姉妹で旧姓小川だと云うことで一瞬「おおっ」と思ったが、残念ながら新潟や群馬に遡り、こちら
の小川とは無関係だとのこと。さらに残念なことに、落合には小川という家は一軒もないとのことだ
った。

たばこ屋のおばさんの方がお姉さんで、地元の小学校を出た最年長だそうで、昨年、落合小学校
開設85周年を記念して、卒業生名簿を中心とした記念誌を編纂し、そのメンバーに加わっていたと
かで、それを見せて貰った。そして、大正2年3月第11回卒業生の数人の中に私の父親の名前を
見つけることができたのである。

私が二歳の時に他界し顔の憶えもない、子供の時には気にもしていなかった父親の名前だ。中学
を卒業する間近、就職試験の面接で、父親の名前を訊かれたが全く知らなかったのである。母親は
私が16才の時に癌で逝ったが、母の口からは父親の事についての話は一言も聞くことは無かった。

15回卒の人で元気なおばさんが旭川に住んでおられるというので、高齢だがもしや何か聴けるか
もと旭川に車を飛ばした。会えたのだが何も憶えていないということだった。無理もないことである。
私だって下のクラスの人など全く憶えていない。父が牛乳風呂に入った話などを聞いていたので訊
ねると、あそこは当時は乳牛はおらず馬ばかりだったとのことだった。

時間の制約もあって、ゆっくりと話をしていることも出来ず、南富良野町役場で戸籍のコピーを取った
ところ、旭川近くの永山村から落合へ分家していることが判ったので、旭川市役所にも戸籍のコピー
を取りに行った。

家へ帰ってからゆっくりと戸籍を調べて、落合に小川家が無い理由もほぼ理解出来た。そして、小川
家は明治24年10月、岡山県から北海道石狩国上川郡永山村122番地に移住して来たのだった。

50才にして初めて訪れた本籍地、父の卒業した小学校も見た。あれから13年が過ぎた。もう再び
南富良野を訪れることは無いかも知れない。

(9月14日)


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