還暦つれづれ草


依頼


私が時々行く病院で、今日も何事も無く診察を受けて出てきたら通路を曲がったところで
事務のおばさんが追いかけて来て呼び止められた。私が来るのを待っていたのだという。

私の在籍している会社では人を募集していないのかとのことだった。今は景気が悪いの
で減らすことはあっても採用することは無いと思うとお答えしたのだ。

娘さんが私の勤めている会社へ入りたいそうなのである。この母親は病院の事務だから
健康保険証に記載の事業所名を知ることが出来る。そこで娘のために意を決して声を掛
けたのだろう。

しかし、これは何かと難しいことを含んでいる。このお母さんが真剣であるほど難しい様に
思われてくる。私はこれからも通院するのだし、会社に問い合わせもしないで無下に冷た
く断られたと思われても困るからだ。そこで出身校や何が出来て本人の希望はこれこれだ
とか、何処に就職して何で辞めたかなどなど一通り聞かされるはめになったのである。あ
まり時間も取れないから早口だ。

景気の良いときはどんどんと採用した時もあった。売り手市場で採用が内定した男子には
背広を、女子には鞄(?忘れた)を与えたりもし温泉へ連れて行ったこともあった。他社へ
流れない様にするためだった。
時代は劇的に変わってしまった。新聞には毎日のようにリストラの活字がおどり、働き盛り
の失業者が毎日毎日職安に通い続けている姿がテレビに映し出されたりしているのである。

そういう状況なので、このお母さんも必死なのだとは思う。少しでも可能性があればと娘の
ために声を掛けたのだと思う。その親の気持ちは判るのだけれども、現状は期待に応える
ことは難しい。第一、私には採用を有利に計らってあげられる様な力などは、そもそも無い
のだからどうしようもない。そう説明して、それで諦めてくれるかというと、そう簡単には諦め
てはくれない。それで一応人事課へ聞いてみることにして放免となったのである。

家に帰ってかみさんにその話をしたら「みんなそうやっているのよ」と、そんなことは当然で
至極当たり前のことだと云わんばかりだったのである。母親は強いということか。

(3月18日)


        還暦つれづれ草の目次へ