還暦つれづれ草


北谷町谷集落のこと

5月最後の土曜日は、4号台風の影響で悪天候だと思って家にいたのだが、青空が拡がっているでは
ないか。残念、出遅れてしまった。それで峠道へ入るところでも探して来ようと、昼過ぎから勝山市は北
谷町谷集落へと向かったのである。

実は先週の土曜日もカミさんと谷集落へやって来て、4月下旬に福井新聞に載った「池平」への登り口
を探したのだ。谷のバス停で地元の陽に焼けたお年寄りに話しかけられて、いろいろとお話を伺うことが
できて助かった。「池平」への登り口の他に、ケヤキの群生しているバス停向かいの伊良神社のところが
昔、一向一揆勢の城があった処だとか、なかなか攻め落とせなかった理由とか、周囲の山から夜、城周
辺の松明などの動きを監視したとか、道の真ん中での永い立ち話となってしまった。

神社の入り口から、以前新聞で報道された谷峠へ向かった石畳の古道が始まっているのも教えて頂き
カミさんとゆっくり歩いてきた。教えられた「池平」への登り口を見落として、すぐ近くから急斜面を両手を
使って登ることになってしまい、その時ズボンの後ろポケットにねじ込んでいた千数百円もする2万5千分
の1地図を落としてしまったのである。間もなくブナ林の尾根に出て目印のリボンを見つけ本来の登山口
に降りることができた。



谷集落バス停向かいにある伊良神社 このすぐそばから石畳道が始まっている

そして出遅れた31日(土)は、昔、谷集落から中野俣へ出て木地山峠や小豆峠へ向かった峠道を探して
うろうろした。標識も無いので確信が持てずバス停へ戻ったら、すぐ側の家の玄関口にこれまた日焼けした
おじさんがいらしたのでお訊ねした。ついでだからと峠道への登り口まで案内してくれて、道の状況につい
ても話してくれた。また、昔は谷集落には百軒もの家があったとのこと、今は住んでいる家は十数軒だけで
このおじさんも住民登録は此処ではないとのことだった。

素足にゴム草履だったが、峠道を600mばかり歩いてみた。山登りという感じでだんだん草蒸してきて、小
さな沢に出たので引き返すことにした。マムシにでも噛まれたら大変だ。虫に6カ所ばかり刺されてしまった
のである。今日のもう一つの収穫は、あげはら山のことを訊いたら、道が付いており登山口を教えて頂けた
ことだ。早速登り口を確かめに行って少し登ってみた。道なりに登ると不明となり、急斜面を登ることになった
が、やがて道に出て永い石垣があるところで引き返し、登山口までの道を確かめることができた。途中で大
きなカモシカに出会った。

カミさんは山菜を少し採りたいと云うので、その間先週地図を無くした急斜面を登り、目出度く地図を見つける
ことができたのだ。完全な防水加工がしてあるので何ともなかった。高いだけある。これで今年はこの周辺の
山や峠を何回か楽しむことができる。親切に教えて頂いた地元の方々にはもう感謝、感謝なのである。

('03年5月31日)


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