北陸の峠道


仏峠・到達せず

この仏峠は和泉村と岐阜県境にあり、2万5千分の1地図には記載がないので、県境の稜線の鞍部を
目指す峠と推測する。越前の一向一揆を討伐するため、織田の軍勢が大挙してこの峠を通ったと云う。
最近は目的の峠に到達せずに引き返すことが多くなった。今回もほんの少し手前で引き返したのがと
ても残念だった。

九頭竜湖に掛かる箱ケ瀬橋を渡って荷暮川沿いの道へ入るのは初めてなのだ。道は細いが荷暮の集落
までは舗装されていた。集落を過ぎると通行止めの看板が道の半分をふさいでいて、そこからは未舗装。
前方から沢に入る様な格好をした人が来たので、この道は行けないのかと聞くと、土砂崩れで工事中なの
で行けないとのこと。それで荷暮の集落から歩くことにする。



荷暮川を高い断崖の上から見下ろす処は、とても見応えがある

しかし、50分歩いても車の通行には支障がなく、道路が陥没していたのは野々小屋谷へ曲がった処だっ
たのだ。でも白く泡だって勢いよく流れる荷暮川は見応えがある。まあ元気なうちだから50分も苦にはな
らないのだが、帰り道は堪えた。右脚が全体におかしい。

野々小屋谷の林道は何カ所も壊れていたが、3分の1強過ぎたの処では道が途切れていて、川の中を歩
かなければならない。なかなか水量が多くて、膝上10cm位まで濡れてしまった。



渡渉地点 まず向こう側へ渉り 少し先から渉り返す

やがて仏谷林道が始まる。これがすごい雑草と灌木と、側壁が崩れ出てその岩のかけらで歩きにくいこと
この上ない。やっとのこと終点となったが、その続きとしてしっかりとした踏み跡を期待したのだが、何もなし
なのだ。そこでちょっとコースがづれて、違う沢伝いに登ってしまった。そこには踏み跡があったのだし。

しかし、なかなか空が近くならないのでおかしいと思い、少し戻ってみることにする。そして、その沢を渉って
そこに流れ込む小さい沢伝いに行くと方向が合う。だがすぐに薮で全然前に進めない。もうとても薮漕する
気力は無くなっていた。もう1時20分過ぎで、歩き出してから4時間だ。お腹が空いていて力が出ないのだ。
右側の杉林の斜面からでも行けそうな気がしたが、今日はここまでとした。地図上の直線距離では、あと
200mくらいなのだが。



今日の写真は川ばかり 
のんびりと河原でお弁当をひろげたくなります
野々小屋谷

この野々小屋谷の林道は当分の間車は通れない。今日の私みたいに歩いてこなければならないのである。
今日は誰もいない県境の山の中を這いつくばって、急な斜面で足を滑らせ、薮の中でもがいて傷をつくり、渡
渉で濡れた重い靴を引きずって歩いた。峠の石仏が拝めなかったのは残念だったが、野々小屋谷は汚れを
知らないと云った感じで、初めての山域で充実した一日を過ごすことが出来たのである。

('04年6月13日)
<足跡>


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