隠れ家でつれづれに
平凡な親には平凡な子供(私の結婚)
古くて重い私が以前使っていたノートパソコンの中には、今でも記録が
残っているのだが、今から4〜5年前、東京で働いている次男から、め
ったに来ないE-mailが届いたのである。そこには「大変なことをしてしま
った。彼女を妊娠させてしまった」とあったのだ。彼女が居ることさえ知
らなかったが、とりあえず籍を入れさせて結婚と云うことになったのであ
る。
そこで彼女のお袋さんへ挨拶に行かねばと、夫婦揃って福井の田舎か
ら三浦半島の突端まで出向くはめになったのだ。彼女のお袋さんは老け
た感じがしたが、私より年齢は若かったのだった。
母一人娘一人なので、一人娘の花嫁姿を見たいだろうから、正式に式
をあげたらどうかと云ったのだが、結局親戚をあつめての食事会を各々
の地元でやって式はあげなかった。それでこちらも助かったし息子も安
月給だったので、その方がよかったのであろう。
私が結婚したのは今から30数年前になるけど、会費制でそれもサンド
イッチなどのオードブルは友達の手作りという極めて簡素なものだった。
私には両親がすでにいなかったし、彼女の両親は私達の結婚には反対
で出てこないのだから、いわゆる結婚式などはあげる訳にもゆかなかっ
たのである。
親も無く東京から転勤してきた何処の馬の骨か判らないヤツに娘はや
れないと云う訳なのだ。私が彼女の家に挨拶に行ったときなど、酒に酔
った親父に殺してやるなどと怒鳴られて、話にならないので家を出たら、
彼女のお姉さんとやらが汚らわしいとばかりに塩を撒いたのである。
戦後の教育を受け、それも東京の学校を出た人のすることとは思えない
が、私は一人で暗い日本海の荒波を横目で見ながら、海岸沿いのがた
がた道をスバル360を走らせて帰ったのである。
その親父も可愛い孫ができると怒ってばかりはいられない。親父の酒の
相手をしてあげられるのは近くには私しかいなかったからよく飲まされた。
しかし、親父は死ぬまで私の小さいながらも彼女と二人で建てた新築の
家に来ることはなかった。
慌てて籍を入れた私の息子の彼女はそれから間もなく流産してしまった。
慌てなくてもよかったのかなと思ったりもしたのである。
(数年前、某メールマガジンで配信されたものです)
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