隠れ家でつれづれに
焼鳥屋のマスター
(還暦つれづれ草に短くして載せてあります)
週末隠れ家に行くと必ずと云って好いほど焼鳥屋へ顔を出した。気っぷの
よいマスターがいて、ゴルフをするので、いつも内のかみさんと話が合って
盛り上がったし、一緒にプレーもした。そして、かみさんのシングル記念コン
ペには、能登からはるばる福井まで駆けつけてくれたのである。
マスターは、また、伝統的な和太鼓の保存・継承に力を入れていて、自ら
グループを率いて若い人を育て、機会ある毎にいろいろな所で腕前を披露
していたのである。私ら夫婦もその太鼓の音色が好きで、たびたび聞きに
行った。
マスターの住む集落の祭りに呼ばれて、キリコという巨大な御神燈を真夜
中に担いで回る、とても綺麗で幻想的なお祭りを見せて貰ったりもした。そ
こでもマスターやその仲間が太鼓を響かせて祭りを盛り上げていたのだ。
私が脳梗塞で倒れて入院したので、暫く振りで顔を出し入院の話をしたら
マスターは自分も胃癌で、それも末期癌だというのである。ごく普通に云う
ので信じられなかったが、彼は私に医師の診断書を見せてくれた。
それから顔を出すたびに、少しずつ弱っている様に思え、店も息子に任せ
るようになり、マスターは奥さんと旅行に出掛けたりハワイへ友人等とゴル
フへ行ったりした。ハワイではホールインワンをしてハワイの新聞に載った
と云って、その英字新聞を見せてくれたりしたのだった。
気のいい仲間達が、マスターのホールインワン記念のゴルフコンペを計画
した。うちのかみさんも是非参加しなければと予定していたのだが、急に計
画が早められて行われたので、うちのかみさんは参加できなかった。もう時
間が無くなっていたのだ。当日マスターは数ホールを軽く打つ程度だったと
いう。
私ら夫婦がその店を訪れた時、その打ち上げという感じで仲間が沢山集ま
って、店は貸し切りで一般客はお断りだった。マスターは気丈に振る舞って
いたが、見る影もなく痩せ細り、気が短く怒りっぽくなっていた。みんな気を
使っているのが判ったし、店の人はぴりぴりとしていた。
ひとりひとり順番に一言ずつ何かを述べることになり、かみさんはゴルフの
事があるからいいが、私は言うことが無くて困った。みなさん気の置けない
人達のせいもあるが、ずけずけと死を意識させる様な言葉を言う人も居て、
気の小さい私は気が気ではなかった。
最後はマスターのお礼の挨拶だったが、涙なみだで聞くに耐えなかった。
その日から間もなくマスターは永眠された。冗談のように胃癌だと言った
あの日から半年と経たなかったのである。まだ50歳そこそこの働き盛り
だった。
それ以後、私はその店に顔を出すことはなかった。あの店には、ただ単に
焼き鳥を食べに行ったのでも、お酒を飲みに行ったのでもなかったからだ。
マスターと話をすることが楽しかったからなのである。
(これは数年前、某メールマガジンで配信されたものです)
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