北陸の峠道
大坂
池田町の東俣から今庄町の杣木俣を結ぶ峠道である。 平泉寺の僧兵一千余騎がこの峠を越えて燧城へ
向かった。木曽義仲に加勢するためだったのだが裏切ることになる。そして、水戸浪士天狗党の一行千人も
ここを通って今庄に宿泊し木の芽峠越えで敦賀へ向かった。大坂を越える時も雪が降っていたといわれる。
この丸太の橋が峠への入り口
杣木俣の集落を過ぎて間もなく右へ登る荒れた林道がある。車は入れないのでここから歩く。またまた峠へ
の入り口を見逃してずっと先まで歩いてしまう。3本の丸太を渡るのだが、濡れて滑って四つん這いになって
しまった。渡るとまた小さな沢だ。しかし道らしいものが見当たらない。迷ったあげく右手の尾根を登って稜線
へ出ることにした。
急な尾根を草や枝に掴まりながら、時には木に寄りかかって紅葉の山々を眺めながら休憩した。標高500m
くらいの稜線に出ると平坦で歩きやすく、あっという間に目的地を通り過ぎてしまった。ウロウロとしてやっと此
処が峠だという結論に達した処は確かに鞍部なのだが、お地蔵さんも何もない。
それに今庄側はすごい急斜
面で、見下ろすが道らしいものは見当たらない。そこでまた少し道を探してうろついてしまった。
峠から池田町側を望む
地図上ではほぼ直線で登り口まで800m位しかないので、急斜面を滑り降りることにする。谷間を一直線に下
るらしい。すぐに小さな沢伝いに降りることになる。沢伝いというか沢そのものだ。草を掻き分けながらちょろちょ
ろ水の急な沢を降りて行くと、だんだん水が多く谷が狭くなってきて、水の中を歩かなくてはと云う所へ来た。
峠を下る途中 杣木俣の集落が見える そちらを目指して真っ直ぐに下る
これがはたして峠道なのだろうかと疑問に思ったままだが、GPSでは地図上の大坂の点線の上を降りているの
だ。水の中を歩きたくないので左側の急斜面を登って尾根に出ることにした。沢沿いに見えない道があるのかも
しれないが、判らないので仕方がない。そうして尾根を下ると登り口直前に出ることが出来て、また四つん這い
になって滑る丸太橋を渡ったのだ。
朝家を出る時、デジカメの電池が切れていて、店の開店までには時間があるので、今日は久しぶりにバカチョン
カメラになってしまった。峠には写真に収める様なものはなかった。
歩く人が少なくて道が消えつつあるのだろう。この峠道は下から登るのは気が進まない。
(’01・11・18)