北陸の峠道


笹又峠

この峠には2001年8月に登ろうとしたが、何処に道が通っていたかも判らなかったので、麓の方をうろついた
だけで終わったのだった。その後峠道は、赤く塗られた「さかのたに橋」のところから始まっている尾根の上を
通っていたらしいことが判った。普通は沢沿いに造られるのではと思われるので、ずっと昔の道とは違うのかも
知れない。とにかく今回は尾根に出て歩いてみることにした。

さかのたに橋際に車を停め、舗装された林道を少し登ると右手の急斜面に付けられた送電線の巡視路を登る。
なかなか急で、黒い樹脂の階段はいいが、それがないところは滑りやすい。30分程で尾根に出た。そこからは
広い道で鉄塔へ。道はさらに次ぎの鉄塔へ続くのか右へ向きを変えている。そこからは一見尾根道が無いかの
様に見えるが、分け入ると踏み跡がある。所々に峠道の名残の様な部分もあり、電信柱の残骸が見られる。



標高760m位の林道から「さかのたに橋」を見下ろす 少し拡大してある

始めの内は歩きやすかったが、だんだんとネマガリ竹や灌木の枝などがうるさくなってなかなか進めない処もあ
る。その内に尾根の左側が杉の植林地となるが、もう少しで林道に出られるかなと思う処くらいになると、道が
それまでとは全く違ってきれいな、まさに峠道と云った感じになる。不思議な感じさえする。沢伝いに登ってくる
道は植林で消え、この尾根の部分だけが残ったとも考えられる。これは私の推測だが。



現在の2万5千分の1地図の笹又峠 普通の林道だ

2時間掛かって林道へ出た。台風の関係か風が強く気持がいい。林道を左に歩いて2万5千分の1地図にある
笹又峠へ向かう。15分程で到着するが峠自体が林道で峠らしくない。でも12時近くになったので、道の真ん中
に腰を下ろして食事とした。コンビニのざる蕎麦を食べながらビールを飲んだ。僧が岳に登った時食べたコンビニ
のざる蕎麦は美味しかったが今回のはいまいちだ。



旧笹又峠付近から道斉山を見る

ところで、峠道を登ってきてこんなに横へ移動した処に峠があると云うのは不自然だ。そういう例が無いわけでは
ないが、ここはおかしい。そこで峠道を登ってきて突き当たる辺りを探してみることにした。そうしたらあったのであ
る。薮に隠れて1mも深いかと思う程のU字型に掘れた峠道の名残があるのだ。林道によって中断されて段差が
出来ていて、へたをすると峠道へ落ちる感じになる。しかしその道は薮が覆い被さっているので普通には歩けな
いし、少し行くとあやふやになった。いや、峠はすぐ上だったのだが、ここが峠だというハッキリとした場所が判ら
ず、お地蔵さんも見つけることが出来なかった。でも、樹々の無い草地の小山みたいなのが側にあって、両側の
眺めは良かった。

私の知人は、若い頃に西谷村を大災害が襲ったときに米を担いでこの峠を運んだのだという。大変だったそうだ。
西谷村の人々は、ここにトンネルを造って欲しいと望んでいたそうだが、その西谷村もダムの底に沈み、人々の
生活に重要な役割を果たした峠道も消え去りつつある。水戸浪士天狗党の一行が越えた歴史の道も辿ることも
出来なくなってしまった。

('03年9月13日)


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