還暦つれづれ草


節分


早いもので正月が来たと思ったらもう節分も過ぎてしまった。子供の時にした節分の豆まき
の場面が、今になっても想い出される。畳の上にもまかれるので、きれいに掃除をしてから
豆まきをしたように憶えている。東京生まれ東京育ちの私が福井へ来て、それも割と最近に
なってから、福井では節分にお寿司の太巻きを食べる風習があることを知ったのである。な
んでも何処か向く方角が決まっていて、そちらを向いて丸かじりするのだそうで、そうすると何
か良いことがあるのだとか。

この日に向けてお寿司屋さんには注文が殺到するのだという。なにしろ福井県では20万本
から25万本の太巻きが節分に食されるというのだ。福井県の人口の4人に1人はこの日に
太巻きを1本食べる計算になる。

いつからこの様な風習が行われるようになったか、関西のどこら辺で行われ始めたのか、
いくつかのホームページを覗いて見た。それをまとめてみると、
「事の起こり」は、和歌山が発祥の地であるとか、江戸時代末期から明治の始め頃、大阪は
船場で商売繁盛、無病息災、家内円満を願って始まったとか、更には、愛知県の方の風習ら
しいと言うのもある。説得力があるのが、今から20数年前、大阪海苔共同組合が節分のイベ
ントとして道頓堀で実施したのをマスコミが取り上げ、全国に広まったというものだ。
「太巻きの理由」としては、福を巻き込むということで、縁を切らないために包丁を入れないで
丸ごと食べる。途中でしゃべってもいけない。はたまた、「家中無言で食う」とか、だんだんと
尾ひれが付いてきた感じなのだ。
「方角」はというと、その年の恵方(えほう−調べないと意味不明)、なんでも年毎に違うらしく
今年は南南東の方角なのだという。

しかし、やっぱりバレンタインデーのチョコレートと同様、業者の策略・陰謀だということに落ち
着く。どうせ金儲けのために考えたのなら、太巻きなどという儲けの少ない物でなくて、トロを使
うなどの儲けの多い物にすればよかったのにと思ったりする。まあ、安くすむというのがこの様
にひろまった一因かもしれないが、寿司屋のマスターも同じようなことを言っていた。

節分の日は寿司屋が混むと思って日をずらせて寿司屋へ行ったら、太巻きは昼の内におおか
た造ってしまうので、夜は普段と変わらないとのことだった。子供の頃はお寿司と云うと長い間
かんぴょう巻きのことだと思っていた。寿司の原点はかんぴょう巻きではないかと今でも思って
いるのだが、だから最後はかんぴょう巻きでしめるというのが私の定番なのである。

(’01・02・07)


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