還暦つれづれ草


孫の水泳教室


 もう一週間程前にもなるが、埼玉の息子から孫のお遊戯会と水泳教室の様子を撮影したビデオテープを
送ってきたのだ。カミさんと腹を抱えて笑ってしまったのは2歳になって間もない男の子の水泳教室の様子
だ。勿論始めから泳ぎを教えるのではなく水に馴れることからだ。手慣れた女性のインストラクターが子供
を突然頭から水面下に沈めたりするのだ。泣き叫ぶ子供もいれば、当家の孫のように顔を手で一度ぺろっ
となで回して、オモチャにばかり興味を示す子供もいるのだ。でも孫は水の中で楽しそうだった。

私の二人の息子も、小学校低学年のときに毎週一回スイミングスクールへ通った。 いつも私が連れていく
役だった。終わるといつもアイスクリームを食べるのが習慣になっていた。二人の息子は水泳選手になるよ
うなコースではなかったが、泳げるようになってからは夏休みは楽しく過ごせたのではないかと思う。田舎の
小学校では、夏休みにみんなの前で模範水泳をさせられたこともあった。スイミングスクールにでも行かなけ
れば小学生でバタフライなどを泳げる子供は少ないからだ。

私が息子をスイミングスクールに通わせたのには、私自身は泳げなくて夏はいつも寂しい思いをしていたこ
とと、私が若い頃、日赤の水難救助指導員(正確な名前は忘れました)をやっていた 人のいい優しいおじさ
んがいて、いつも聞かされていた言葉があった。それは、25m泳げれば水死事故の何10%かは(数字は
忘れました)防ぐことができる。だから子供には最低25mは泳げるように教えておかねばならない。それが
親の責任であると云うことだったのである。

しかし その 人のいい指導員のおじさんは、つれあいには恵まれなかったように思えた。そのカミさんはいつ
もガミガミと旦那にうるさくて、かつ疑り深い性格のようだった。だからそのおじさんが亡くなったと聞いたとき
は、いい人なのに可哀想だったなと思ったのを憶えている。もう30年以上も前のことだが。

('03年12月22日)


ホームページへ                  還暦つれづれ草の目次へ