ファミコンと私。

2003/6/3 初稿


 任天堂。
 「ファミコン」ことファミリーコンピュータを世に送り出し、家庭用コンピュータゲームと言う一大市場を生み出した京都の会社…などとは今更言う必要もないだろう。
 ファミコンの発売は、調べたところによると1983年。
 私は生まれてこそいたものの、ハッキリ言って物心付く前である(註1)。
 当然、発売されてから数年間は、私も存在すら知らなかった。
 私が5歳だか6歳だかの頃。祖父母の家に家族で出かけていた際、そこで年上の従兄が見慣れない物をテレビに繋いで遊んでいた。…それがファミコンであり、その時遊んでいたソフトこそが任天堂の名を世に知らしめた名作「スーパーマリオブラザーズ」であった。
 当時の私は当然、ゲームがどういうものかもよくわかっていない。が、ヒゲ生やしたおっさんが走り回って飛び回っていたのは間違いなく記憶している。
 実はその時、一度だけやらせてもらったのだが、当然ファミコンなんて初めて触る子供のやることである。どうなるかは想像に難くない。案の定ゲーム開始直後に真っ直ぐ右へ歩き、最初のクリボーに突撃死を繰り返していた。

 それから、1年だか2年だか時が過ぎる。小学校1年の時だったと思う。我が家にファミコンがやってきた。
 まあ当時は、もっぱら当時高校生である私の兄が遊んでいたのだが。兄がファミコンで遊ぶのを後ろから見ている、それだけでも楽しかったと思う。
 確か当時兄がやっていたのは、和製RPGの基礎ともなったドラゴンクエストの初代ではなかったろうか。小学校入りたての子供にはよくわからない世界だった。「かいしんの いちげき! しかし メタルスライムに ダメージを あたえられなかった!」とか表示されても、何の事やらさっぱりわからない(註2)。
 結局私が最初にマトモに触れ、そして長くプレイしたゲームは何かと言うと、コナミの「ツインビー」であった。
 初めてやったころは3面まで進めれば運のいい方で、大抵は2面ボスでゲームオーバーになっていたような気がする。今やってはどうだろうか。多分、5面(1周)は間違いなくクリア出来るだろう(註3)。

 ファミコンは当然当時の子供達の間で流行した。私の近所にいる同い年の友人の家にも当然、ファミコンはあった。お互いのソフトを貸しあったり、みんなで集まって攻略したり、ファミコンをネタに友人が集まる事も一度や二度ではなかった。みんなでコナミの「ハイパーオリンピック」でスコアを競い合ったりとか、いい思い出である。

 結局、ファミコンにハマりまくったのだ。
 そして、年が経つと共に、新しいハードが発売される。
 気がつけば私の家(と言うか私の部屋)には、ファミコンに始まってスーパーファミコン、PCエンジン、PC−FX、セガサターン、ドリームキャスト、プレイステーション、ゲームキューブ、ワンダースワン、ゲームボーイアドバンスspと、10機種ものコンシューマ機が揃ってしまっていた(註4)。



 …冷静に考えなくても、ファミコンで道を踏み外したんだよな、私…。


註釈解説

註1「物心付く前」…私は1980年生まれ、当時3歳である。
註2「かいしんの」…実際そうだったかどうかは記憶があやふやである。もし事実ならえらいことになるが。
註3「5面」…初代ツインビーは5面クリアすると6面と称して1面からまた難易度が上がった状態で始まる。ちなみに私の最高記録は13面。
註4「10機種」…PC−FXは既に廃棄されているし、ワンダースワンはカラーになりクリスタルになった。ついでにファミコンのディスクシステムも家にあったので、実質13機種。今は9機種だが。


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