北陸の峠道
荒山峠
峠道巡りも冬は難しいことが判った。この荒山峠は、能登は鹿島町芹川から氷
見市へ抜ける道であるが、国道159号線鹿島バイパスから昔「荒山往来」と云
われたこの峠道へ向かったのだが、登り始めると雨が直ぐに雪に変わり、間もな
道路以外は真っ白になってしまった。そして峠は路面も雪に覆われていたのであ
る。
(雪の荒山峠)
そして翌日は本格的な雪になり,私のような乗用車では近寄り難くなってしまった
のだ。
峠には「荒山峠 パーシバル・ローエル能登への第一歩を印す」と題す案内板が
ある。そこには、この天文学者は,明治22年(1889)5月8日にこの峠を越え,
能登への第一歩を印した。かれの紀行文には、峠の頂上に競い合うように建つ
左右二軒の茶店は旅人でとても繁盛していたと記している,とある。
峠・右はローエルの案内板 |
峠のお地蔵さん |
今の舗装道路によって峠道は分断されてしまったとあるので、春になったら一度
古道の名残を確かめてみたいと思う。
峠より0.5km手前に左へ林道があり、数百メートル行くとトイレ完備の駐車場が
ある。「荒山合戦古戦場・桝形山(ますがたやま)」と「おもしろ砦・桝形山マップ」
の二つの案内板が立っている。山頂まで15分、戦国時代にタイムスリップした後
は、360度の大パノラマがあなたを待っていますとある。
天正十年(1582)6月25日荒山砦は前田利家の軍勢により陥落,翌日にはこ
こから4キロ先の石動山院に攻め入って一山に火を放ち、栄華を誇った石動山
の堂塔伽藍はことごとく焼き尽くされた。これを石動山合戦と云う,とあった。
春にはここも是非散策してみたいと思う。戦争はいつも立派な建物を灰塵にして
しまう。もったいない。最盛期には多数の堂塔伽藍、360坊余,3000人の衆徒
を擁していたという。昔の面影を伝える建物もいくつかが近くに移されてあるらし
いので,それらも回って見たいと思う。
峠道をさらに0.5km程下がった所に蛇が池があり,御休息処の看板が出ていて、
キャンプ場にもなっている。真っ白い雪の山に囲まれた静かな池に,一羽の白鳥
がゆったりと浮かんでいた。
荒山の峠道は、永い永い歴史と共にあって、幾多の戦の悲惨さや行き交う人々
の喜怒哀楽を見続けてきたのであろう。
(99/12/19)