北陸の峠道
三坂峠と中ノ峠
二つの峠は小松市と鳥越村を結ぶ国道360号線にあり、二つの峠は並んで間近にあるのだ。
産業道路から360号線に入りしばらく行くと、平家物語に出てくる仏御前の生地でありお墓も
ある原集落があり、更に行くと岩倉城跡の案内板がある。一向一揆勢が勢力を持っていた頃、
越前朝倉勢の攻撃に備えて造った城の一つがこの観音山の岩倉城だったという。
三坂隧道
やがて中ノ峠のトンネルを過ぎ、間もなく三坂峠のトンネルがある。二つの峠とも今はトンネルに
なっている。こうなると二つのトンネルを写真に収めたらこの峠話は終わってしまうので、三坂峠
の旧道を探してみることにした。なんでも三坂トンネルの直前を右に入るとだけ憶えていたので、
車を少し広くなっている所へ止めてカメラだけを持ってそれらしい道へ入る。
しかし地元の人しか通らない様な道で、草が生え繁り、たちまちのうちに服は濡れ草の種がズボ
ンや上着に付着したのである。勿論標識の類はいっさいなく、ただ沢に沿って踏み跡があるだけ。
進むにしたがって、蔓や背の高い草、倒木や枝に悩まされた。上の方へ登る道が見つからず、次
第に上流に、おまけに踏み跡もはっきりしなくなったので、引き返すことにした。なんと1時間以上
も進んでしまった。 戻る途中も峠の方へ登る道はないかと注意しながら歩いたが、幾度か少しの
踏み跡らしいものを見つけて登りかけたりしたのだが、いずれも違っていたのだった。
こんな所を歩いた 右より3分の1位に踏み跡
こうして2時間以上も掛けて帽子から下まで草の種だらけになって車に戻ったのである。落ち着い
て考えると、そんなに奥に行くはずはなく、せいぜいトンネル入り口から10分か15分位のところ
に上へ登っていく道がなければおかしい。でも疲れたので今日はやめ、中ノ峠トンネルの間近に
ある峠の茶屋(正確には中ノ峠物産販売所)に向かった。
中ノ峠隧道 と 中ノ峠物産販売所
茶屋の中に入るとイワナを焼く良い匂いが漂っている。
そこで蕎麦を一杯食べた。 250円だが
とても美味しかった。客のおばさんが、蕎麦のかけ汁が少ないとクレームをつけていた。なるほど
そう言えばそうだ。蕎麦が汁を吸ってしまうとの説明だったのではあるが...。
(株)チューエツの出版による「北陸の峠」によれば、三坂峠は白山信仰の道であり、鳥越地方の
木炭や生糸・麻糸などを小松に運ぶ道でもあり、
藩政期には巡見使が小松から白山麓に向かう
道としても整備されていたとある。
中ノ峠トンネルの横を、峠の集落を抜ける旧自動車道があり、ゆっくり走ってみたが、落ち葉が
濡れてへばりつき、秋のどんよりとした空の下で静まり返っていて、何か寂しい雰囲気が漂って
いる。 加賀一揆衆の最後の戦いがこの辺一帯で繰り広げられた悲しい歴史が秘められている
からだろか。
(’00・11・11)