福井の小さな山歩記
ホノケ山(99・5・28)
だいぶ前の福井新聞に、昔敦賀から菅谷峠を越えて武生の方へ塩を運んだ
道の一部を、有志の方が整備されたと云う記事があった。それは南条町側の
奥野々あたりだと思ったが、今日は河野村の河内の方から登った。
車で305号線から林道へ入り登山口を目指した。途中林道の工事中で、一時
工事を中断して通して貰った。登山口はバスが捨てて在る所だとのことだ。
まさにどうしようもないバスが捨ててあった。このバスがなければ車3台くらいは
停められるのにと思う。
登山道は細い。草が少し繁ったら隠れてしまうくらいだ。山腹を右にまいて行く
のだが、細いうえに谷へ傾斜していて歩きにくいし危険だ。その関係で登りの時
は右足首をひねるので疲れる。下りは左足なのだ。でもおおかたなだらかで順
調に「越の国最古の治水工事」の標識のある所へたどり着いた。
その昔治水
工事をしたり塩を運んだりしたにしては道が細すぎる。昔は別の道があったの
だろうか。
一休みしてから菅谷峠へ。そろそろ峠かという頃、上の方から重い響きが聞こ
えてきた。なんと、峠をえぐり取って 広い道路を造っているではないか。それば
かりか、峠に駐車スペースを設け、ホノケ山に向かう立派な階段を造作中なの
だ。また道路が広い、国道305号線らしい。
ちょんぎられた登山道は、造作中の立派な階段の横手に、無理矢理造ったよ
うな臨時の道があり、ロープをたよりに登った。
この道路が完成すれば、峠に車を置いて,歩いてホノケ山頂は30分くらいな
ので、今来たこの細い道を登って来るような人はいなくなってしまうのではない
だろうか。
急登にあえぎながらホノケ山頂(736.8m)に、登り始めてから2時間で到着。
山頂は風がきつく、おまけにガスがかかったりして寒い。食事をして早々に風
から逃れるため林の中に入り峠まで降りた。ここは暖かく、しばし休憩。ここで
食事をすれば良かったのにと思う。工事の人も休憩していた。
帰りは、その昔佐々生光林坊という人が生害したとの石碑があるところへ寄っ
てから下った。ここら辺は皆、朝倉家と一向一揆に関係している。小さな山登り
を始めてから福井の歴史に接することが多くなった。
* * * * *
往復4時間以上もただ一人で黙々と歩いていると、子供を連れて山登りをした
頃のことを想い出す。
白山には二人の子供を連れて3回登った記憶がある。一番最初は、まだ小学
校低学年の頃だったと思うが、夏休みのシーズンだった。この季節は、永平寺
の坊さんや自衛隊員、そして中高生徒の団体で山が溢れかえるのである。山
登りも行列なのだ。
女高生が長〜い行列をつくってゆっくり登っていると、狭い山道で追い抜いて
行くのは大変なのだが、その行列が道ばたに座り込んで休憩している横を通り
抜けて行くのも、これまた大変なのである。男の子とはいえ子供は可愛い。うち
のかみさんは、二人にお揃いの服を着せ、そろいの登山靴に揃いの靴下、そし
て帽子ときたもんだから、女高生が騒ぐのも無理もない。「可愛い〜い!」とい
うのから「欲しい〜!」というのまで賑やかこのうえないのである。下の子供は
照れやだから、もうどうしようもないと云う顔をして、えんえんと続く女生徒の前
を歩いていたのである。
あれからもう20年も経ってしまったのだ。