北陸の峠道


遅(おくれ)峠を目指す

この峠は、敦賀市奥麻生と滋賀県西浅井町集福寺の下塩津神社を結ぶ道にあったと云われる。現在の
2万5千分の1地図には滋賀県側は沓掛からの道が載っているが、この道の一部が使われたかどうかは
不明だ。
南北朝の頃、足利勢に追われた新田義貞の軍勢が、山中の七里半越を塞がれて道を迂回し、遅れた3
百人余が、時ならぬ寒波の雪で集福寺周辺で道に迷い動けなくなり悲惨な最期を遂げたと云われる。
「太平記」に記述があり、下塩津神社の境内に供養塔があるという。

この「目指す」が付くと目的が達せられなかったということなのだ。敦賀の奥麻生の集落で舗装は終わり
そこから未舗装の林道になるのだが、そこに鎖が張ってあった。うろうろしていたら軽トラックに乗った爺さ
んが来たので訊ねてみた。ゴミを捨てたり火を出すようなことをしなければ通っても良いと言う。峠への道
は、もう何年も刈り払いをしてないので判らなくなっているだろうとのこと。登り口近くなのか大きな杉の樹
が1本あって、そこには毎年1回詣るとかの話だった。長者屋敷と呼ばれ南朝忠臣ゆかりの墓があるとい
う処だろうか。


この奥麻生川を渉って向かいの流れ込んでいる沢伝いに尾根に出るまで歩く

大杉は何処か判らなかったが、道についてはお爺さんの言う通りだったのだ。まず林道から狭くなった奥
麻生川を渉る時、石が滑って靴が濡れてしまった。それから沢伝いの薄い踏み跡を辿るのだが、最初尾根
に登るような感じなので尾根に取り付いて少し登った。下を見ると沢沿いが道みたいに広く見えたので、沢
筋へ下った。それから薮に次ぐ薮の苦難の旅路が始まったのだ。

所々に炭焼きの窯跡があったりしたが、薮がうるさくて速く歩けない。小さなザックが何回も蔓や小枝に引
っかかってなかなか進めない。小枝がやたら顔を叩き目も危ないのだ。ゴーグルが必要だ。密集した灌木
の小枝があると、遠回りしなければ進めないので踏み跡もへったくりもなくなる。行程の半分近くでうんざり
して尾根に取り付いたのだが、最初踏み跡があったがすぐに深い笹薮となり、だいぶ登ったと思ったが地図
上ではほんの少しだったので、諦めてまた沢筋へ降りた。



あとはもう沢筋を先へ行くしかない。結局、沢を最後まで詰めると林道に出る。最初から林道を辿れば簡単
な訳だが、それはその峠道を辿る事が私の課題なのだから我慢しなければいけないのだ。しかし、私の歩
きたいのは前回の庄野峠みたいな歴史を感じさせてくれる峠道なのである。

林道から踏み跡へ入ると斜面を登って尾根の上に出た。やっと着いたと思ったが、GPSで確認すると県境
の上ではない。すんなりとここへ来たのにおかしい。そこで折角登ったのに林道へ降りて、うろうろと尾根へ
上がる踏み跡を探したのだが見つからない。尾根はすぐそこのはずなのだが、ハッキリとした踏み跡は先程
登った処しかない。何でもいいから踏み込もうと思ったら、その先でボキッと枝の折れる様な大きな音がした
のである。熊かも知れないと思うと踏み込む気にもならず、3時間以上の煩わしい薮の中を歩いて疲れ切っ
て気力も薄れて、林道を少し歩いて広い陽の当たる処でゆっくりとコンビニの稲荷などを食べた。

どんな道か十分に知ることが出来たから今日はここまでとした。下りは薮漕ぎはご免蒙りたいので送電線の
巡視路か林道かだが、楽な林道を歩くことにした。車まで約1時間だった。

尾根上で目印となる樹などをデジカメに収めたつもりだったが、電池切れで何も撮れてなかったので、今日の
写真は車に戻って電池を入れ替えてからのものだけとなってしまった。


奥麻生集落へ向かう道沿いのお地蔵

('04年12月3日)

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奥麻生集落が終わり未舗装の林道となる この鎖を外して進む 左手の石垣は日吉神社