福井の小さな山歩記


横谷峠から奥医王山(富山・石川県境)
(6月9日)


今日は富山県福光町と上平村の境にあるブナオ峠を目指したのだが、刀利ダムをぐるりと回った
ところでゲートが閉ざされて通行止めになっていた。当分の間とある。インターネットの道路情報で
はその様なことは載っていなかったのだが、さらにおかしいのは通行止めのゲートの向こう側に軽
自動車がやって来たのである。何処から来たのか。実際は通れる状態にあるのではと思うのだが。

ブナオ峠の道は塩硝街道として重要な役割を果たした道だ。塩硝は火薬の原料で、五箇山で生産
されて金沢へ運ばれた。ブナオ峠の道はその塩硝を運んだ道の一つで、現在は塩硝街道と云うと
代表格がこの道なのである。

塩哨街道は、西赤尾−ブナオ峠−刀利−横谷峠を越えたので、急遽予定を変更して横谷峠へ行き
そこから奥医王山(939.1m)に登ることにした。横谷峠は福光町小院瀬見から金沢市横谷町へ
抜ける間の峠で、今は車の通れる細い林道が通っていて、昔の面影を見つけるのは難しいのではな
いかと思う。



横谷峠 記念碑とお地蔵さん

横谷町から細い林道を2.5km程上がると峠へ。峠には道の開通記念碑とお地蔵さんが祀られて
いる。この辺りは県立自然公園なので、立派な道標や案内板が設置されていて判りやすい。奥医
王山の登山口はそのお地蔵さんから100m位のところにあり、そこに車を停められるしベンチもある。



登山口

登山口の道標には頂上まで140分とある。ちょうど10時に歩きだした。雨に濡れてしっとりとした道
で緩やかなアップダウン、最初の一時間あまりは緑のトンネルの中をゆっくりと歩ける。一人で黙々
と山を歩くのが好きな人には打ってつけの処だ。中高年向きの散策路という感じなのである。後ろで
「わらびだ、ミズブキだ」と声を上げる人がいるのだが、採集は帰り道にということにしたのだった。

一時間ほど歩いて急登に差し掛かったところで、上から一人に爺さんが降りてきた。軽装でジャンバ
ーを手にしているだけ。「夕霧峠へ降りるのにこっちの方へ来てしまった」などと言っている。我々は
夕霧峠が何処にあるか知らなかったが、頂上へ着いてみたら夕霧峠まで30分とあり、方向は横谷
峠とは反対に近い。あの爺さんは横谷峠からどの様に林道を歩いて行ったのだろうか。とても心配に
なってきたのである。



2時間で頂上に着いたが、途中ほとんど展望はない。おまけに頂上も展望はなく、ただ鉄の櫓があり
そこへ登るとかろうじて見えるのだが、今日はそれもボヤケていてダメだった。頂上にはベンチがいく
つかあるのだが、大きなハエが沢山とまっていて、とてもそこで食事をする気になれず、2分手前とい
う縁結びの大杉の処のベンチで昼食とした。汗を沢山かいた後は熱いラーメンの汁が美味しい。



左手にも大杉があり2本は太い綱で結ばれている。この前のベンチで昼食を摂る。

戻りは時期遅れのわらびを探したりミズブキを採ったりしたので、やはり2時間近く掛かって登山口へ
着く。福光へ出ようと舗装された立派な林道を走っていたら、突然前方の道路が陥没・崩落していて、
びっくりして急ブレーキを踏んだ。引き返し、結局小院瀬見への細い林道を下った。昔の峠道を広げた
のだろうか。しかし、この辺は車の通れる林道だらけで、旧峠道を辿るのはますます難しくなっている
と思われる。

<歩いた軌跡>


追録(’01・06・23)

この土日は雨の確率が高そうなので山登りはあきらめ、ドライブだけにして五箇山の上平村側からブナ
オ峠を目指した。幸いブナオ峠までは通行止めはないらしく、谷沿いのくねくねとした狭い道を峠へ向か
ったのだが、途中ショベルカーがダンプカーに土砂を積み込んでいる所に出くわした。だいぶ時間が掛か
りそうだし天気も思わしくないので、次回の楽しみとして引き返した。

そして、西赤尾の国指定重要文化財で合掌造りの「岩瀬家」を見学した。この家は加賀藩の塩硝上煮役
として、区域の塩硝をとりまとめ、藩へ納入する役宅だった。 塩硝街道のまさに出発点だったのである。
観覧料300円 囲炉裏に座って若い女性の説明が聞ける。


岩瀬家

 

    合掌造り三階部分 暖気が上がる様床がすのこ状になっている          塩硝釜 これで煮詰めて造る                




囲炉裏 火吹き竹を使う子供


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