還暦つれづれ草
お年取り
あと数日で大晦日である。私の祖母は「お年取り」と言っていた。お年寄り以外
はあまり使わない言い方だが、何か懐かしいひびきがあっていい。
いつもこの時期になると想い出すのだが、その「お年取り」には、何故か必ず塩
鮭の切り身が焼かれて食卓に出てきた。鮭でお年取りをするという言い方をして
いた様な気がする。明治元年生まれの祖母が育った地方の習わしだったのでは
ないかと思う。残念ながら詳しく聞く機会を持たなかったが、信州は松代の方だと
聞いた様な気がする。
山の中では魚は貴重な食材だったのだろう。昔、今の富山から高山へ向けて,
馬にブリを積んで運んだというが、途中の宿場の人達の口にはなかなか入らない
高価なものだったと云う。だから信州の山の中では、塩鮭はお年取りの夜に相応
しい一品だったのかもしれないと私は想像している。
祖母はまた、正月3ガ日は福が逃げるからと云って掃除をしなかった。七草粥も
も作ったこともあったが、材料が揃わなかったのではないかと思う。お月見だと云
ってはお供えをしたこともあったが、これも貧乏生活ではお供え物の用意が難し
い。祖母は、というか昔の人は、季節季節の節目にはするべきことがあったので
ある。
毎日の生活の中にも、台所の神様や便所の神様など神様が沢山居て、毎朝ご
飯をお供えしていた。台所の神様はお荒神さまだったか、多分かまどを守る神様
だったと思う。
さて、現在の我が家のお年取りはというと、特別それらしいことは何もない。ス
ーパーで栗きんとんや黒豆の煮たやつとか、いわゆる重箱に詰めるおせち料理
をいろいろ買ってきて、いつもよりテーブルの上が賑やかで、好きな種類のお酒
が飲める程度なのだ。門松は勿論、鏡餅も飾らないし,伝統的風俗習慣を守り
伝えるなどと云うこととはほど遠い有様なのである。
唯一,お雑煮の食べ方にこちらの特色が見られる。昆布だしの味噌仕立てで、
丸餅を焼かないで柔らかくなるまで煮るので、どろっとした感じになる。お餅はどう
いう食べ方をしても美味しいので構わないのだが、私は東京育ちなので、結婚し
たては私が関東風のお雑煮を作ったこともあった。
福井で育って東京で結婚した息子は,どんなお雑煮を食べているのだろうか。