福井の小さな山歩記


高落場山(富山県)と旧五箇山街道
(5月19日)


今日の予定は、昨年4月林道が通行止めだったため、時間不足で唐木峠までしか行けなかった
旧五箇山街道を是非歩いてみたかったので、唐木峠から高落場山へ登り、朴峠(ほうとうげ)へ
下りて旧五箇山街道を歩いて唐木峠へ戻ることにした。

ゆっくりと歩きたいので高速道路で福光インターまで行き、登山口である高清水林道の若杉集落
跡には7時40分頃に着いて直ぐに歩き出す。若葉のトンネルの下の石畳の路を登る。そして唐木
峠から高落場山の急な登りへ入る。 最初は黙々と歩くだけだが、 そのうちにブナやミズナラの樹
林帯に入り、若葉を付けた堂々としたブナの大樹に見とれてしまう。道にも所々に残雪があったが、
でもなかなか良い道だ。沢山の人が登るのだろう。



高落場山山頂

2時間弱で見晴らしの良い山頂(1122m)へ着く。途中私を追い越していった年輩の二人連れが
いたが、まだ10時前なのですぐに奥つくばね山に向かって行った。直ぐに夫婦らしい二人が登って
来たが,この方達もつくばね森林公園へ降りると云って別れた。そこで私も朴峠に向けて反対側へ
下り始める。道の状況から見て、こちら側の利用者は少ないみたいだ。

立派な杉林へ降りる手前で二人連れが登ってきた。五箇山トンネルから登ってきたのだろうか。杉
林の中は一面の雪で道が判らずうろついたが、どう歩いても林道へぶつかることが判る。林道とい
っても崖崩れが多く車は難しいみたいだ。だいぶ歩いた所で急な斜面で山菜採りをしている三人の
ご年輩の方々がいた。太い立派なウドを沢山抱えていたが、色黒の爺さんが方言なのか聞き取り
にくい言葉で「熊が出るぞ」と脅かすのである。 熊についてはお互い様だ。 「何処から来なすった」
「福井からです」「ようこんな所わかんなすったな」などとたわいのない会話を交わす。林道は長いの
で車に載せていってあげると云うのだが、旧街道を歩くのでお断りしたのだった。



朴峠・解説板が設置してある

やがて朴峠に頂上から1時間程で着く。近くに軽四輪トラックが止まっていた。先程の人達の車だ。
間もなく軽四も行ってしまい、11時も廻ったので買ってきたサンドイッチで昼食とした。ビールも持っ
てきたがあまり飲む気もしない。昔の人も,こうやって峠に腰を降ろして食事をしたり休んだのだろう。

11時半過ぎに静かな朴峠を後にして旧街道に入る。最初は芝生の上を歩いているような感触で、さ
すがは歴史のある道だなどと思っていたのであるが、左手が底の見えない深い谷の上にやってくると、
そうでも無くなった。上の方から谷底へ向かって斜面を切り込んで何もかも滑り落ちる様な所があるが,
そこを通るときはぞくぞくっとする。特にその斜面に雪があって、雪の斜面を横切るときなどはひやひや
する。下の方で雪が大きな口を開けており,そこへ滑り落ちようものなら一貫の終わりだ。



横切るのにひやひやした。右は急な谷へ落ち込んでいる。横渡りの難所の辺り。
写真ではあまり急斜面に見えないが、実際はすごく急である。

土質の性か,道が10数mにわたって流失して急な斜面になっている所もあるし、上から土砂が崩れ
て道の上に急斜面を形成している所もある。 雪で道が遮られて, 崩れやすい斜面を登る所もある。
昔の人はよくもこんな急斜面の山腹に道を造ったものだ。雪や雨でしょっちゅう道は崩れていただろう
し、人喰い谷の雪崩の話しにも有るように、まさに命がけで重い荷物を運んだ峠道だったのだ。



人喰い谷付近から

最近、多分今日、唐木峠から朴峠に向かって歩いた人の足跡があって元気付けられたと云うか助か
った気がした。もっと残雪が多かったら、私は怖くて通り抜けられず、引き返して朴峠から高落場山を
登り返したかも知れないと思う。とても中部北陸自然歩道だからと,この時期安心してはいられないの
である。

でも雪が融けて修復されれば勿論歩きやすくなる。先人の苦労を知り歴史に触れるためにも,多くの
人に歩いて貰いたい道だと思った。人喰い谷を過ぎる頃から小雨模様となったが,幸い濡れる程でも
なく唐木峠を通って登山口に着くことが出来た。ゆっくり歩いたので1時間45分も掛かったのだった。

<歩いた軌跡>
 



追録(’01・06・23)

6月23日(土)、天気予報は雨なので山歩きはやめにしてドライブとした。五箇山の上梨にある流刑小屋
(有形民俗文化財)を見てきた。旧五箇山街道を通って連れてこられた流刑人が入れられた小屋である。
小屋の中には流刑人のひと形が座っていて、ムシロの上には投げ込まれた小銭が散らばっていた。多くの
流刑人がここで命を落として仏となったのだろう。小銭はその仏達へのお賽銭なのだろうか。

帰り長い五箇山トンネルを通るのだが、その手前を左に入り、梨谷からの朴峠への登り口を見つけた。朴峠
にあったのと同じ文言の説明板が建っていた。ここから上梨までの旧街道は舗装道路に何カ所も遮られたり
して切れ切れになって残っているのだろうか。説明板の前に数分立っていただけで、足を何カ所も虫に喰わ
れて、いつまでもかゆくて困ったのだった。

 


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